現在でも白米と砂糖いっぱいのお菓子とドリンクは危険
徳川14代将軍家茂がむし歯と脚気(ビタミンB1欠乏症)で若くして亡くなったのはすでにお知らせで書いた通りです。
実は私もこの患者さんは脚気に違いないという症例に出くわしたことがあります。もう30年以上前になりますが、20代の男性患者さんで独身です。たくさんむし歯があり治療していました。
予約時間には必ず来院され治療も順調に進んでいましたが、ある時、無断で来られませんでした。携帯電話がまだなかったころです。どうしたんだろうと思っていましたら、しばらくして来院されました。
真面目に来院されていた患者さんだったので気になり「何かあったんですか?」と聞きますと、「実は足がしびれて歩けなくなり1週間入院していました。点滴して治ったのですが原因はわからないそうです。」そのころ私は「現代によみがえる江戸患い」と言う本を読んでいたので間違いなく脚気だと思いました。
そこで、ご飯はどんなものを食べているか聞いたところ「ご飯は毎食セブンイレブンのお弁当、飲み物はコーラが一番おいしい」とのことでした。
まさに、むし歯と脚気になる食生活です。コーラは強い酸性の飲み物なので歯の表面を溶かします。また砂糖がたっぷりなので虫歯菌がたくさん繁殖します。飲むときに上顎の前歯を通ってのどに流れ込むので、上顎の前歯がむし歯になる人は飲み物が原因であることが多いです。甘い飲み物は(コーラ、スポーツドリンク、ジュース、黒酢ドリンクなど)上顎の前歯がむし歯になります。
玄米にはビタミンB1、その他ビタミン、ミネラルを含んでいますが、精製して白米にするとそれらはほとんど無くなってしまいます。精製すると白米と糠に分かれます。糠にはビタミン、ミネラル、食物繊維が豊富に含まれています。糠と言う漢字は米に健康の康と書きます。昔の人は知っていたんでしょうか?
また、コーラに入っている砂糖は量も多く、エネルギーに代わるときにビタミンB1などを消費します。 これではビタミンB1が不足するのは仕方がありません。 患者さんには食事について説明しましたが、人の食生活はなかなか簡単に変わるものではありません。 ビタミン剤を飲むように勧めました。
以下はWIKIPEDIAからの参照です
脚気(かっけ、英: beriberi)は、ビタミン欠乏症の一つであり、ビタミンB1(チアミン)の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患である。心不全によって足のむくみ、神経障害によって足のしびれが起きることから脚気と呼ばれる。心臓機能の低下・不全(衝心、しょうしん)を併発したときは、脚気衝心と呼ばれる。最悪の場合には死亡に至る。
日本では、白米が流行した江戸において疾患が流行したため「江戸患い」と呼ばれた。大正時代には、結核と並ぶ二大国民亡国病と言われた。1910年代にビタミンの不足が原因と判明し治療可能となったが、死者が1千人を下回ったのは1950年代である。その後も1970年代にジャンクフードの偏食によるビタミン欠乏、1990年代に点滴輸液中のビタミン欠乏によって、脚気患者が発生し問題となった。
第二次世界大戦以前
『日本書紀』にすでに脚気の症状を呈する病の記述がある。元禄年間には、コメを精製する習慣が広まり、特に江戸で多く発生して「江戸患い」と呼ばれ、経験的に他の精白されていない穀物を食べた。明治時代に入り1870年(明治3年)から翌年にかけて脚気が流行。明治末までに、毎年最小6,500人から最大15,085人死亡したとみられる。大正以降、ビタミンB1(チアミン)を含まない精米された白米が普及するとともに安価な移入米が増加し、副食を十分に摂らなかったため、脚気の原因が解明されビタミンB1の純粋単離に成功した後も、多くの患者と死亡者を出した。
統計上の脚気死亡者数は、1923年(大正12年)の26,796人がピークであり、戦後まで年間1万人~2万人で推移した。また幼児の脚気による死者が非常に多く、大正時代末期は0–4歳の幼児死亡原因の約半数が脚気によるものであった。ようやく死者が1千人を下回ったのは、アリナミンとその類似品が社会に浸透する1950年代後半のことであった。
大日本帝国海軍で軍医の高木兼寛は、イギリスの根拠に基づく医療に依拠して、タンパク質が原因だと仮定して、洋食、麦飯を試み、1884年(明治17年)の導入により、1883年の23.1%の発症率を2年で1%未満に激減させた。理論こそ誤っていたものの、疫学の科学的根拠を得ていたということである。だが、当時医学の主流派は、理論を優先するドイツ医学を模範としていたことから高木は批判され、また予防成績も次第に落ち様々な原因が言われ、胚芽米も導入された。
これに対抗して、大日本帝国陸軍は白米を規則とする日本食を採用、『明治二十七八年役陸軍衛生事蹟』によれば、死者総計の約2割、約4千人の死因が脚気であり、陸軍はその後も脚気の惨害に見舞われた。農学者の鈴木梅太郎は、1910年(明治43年)に動物を白米で飼育すると、脚気様の症状が出るが、米糠・麦・玄米を与えると、快復することを報告。これを基に翌年、糠中の有効成分を濃縮し「オリザニン」として販売したが、医界においては伝染病説と中毒説が支配的であり、また医学界の外にあった鈴木が提唱したこともあって栄養欠乏説を受け入れなかった。1912年にポーランドのカジミェシュ・フンクがビタミンという概念を提唱したが、なおも国内提唱の栄養説を俗説とさげすみ、外来の栄養説を後追いした。陸軍主導の調査会には、真因を追及する能力はなかったとも指摘される。陸軍が白米を止め、麦3割の麦飯を採用したのは、海軍から遅れること30年の大正2年だった。
第二次世界大戦以後
1975年(昭和50年)頃からジャンクフードの普及による栄養の偏りから脚気が再発した。また、高カロリー輸液の点滴にビタミンB1を欠いたことから死亡を含む脚気の重症例が相次ぎ、1997年(平成9年)に厚生省は輸液に際してビタミンB1を投与するという通達を出した。アルコール依存症患者にも多い。2014年にも、高齢者が食品購入の不自由さから、副食を食べず白米のみを食す食生活でビタミンを摂取できず発症する例が報告されている。現代のジャンクフードは、例えばインスタントラーメンなどにビタミンB1が添加されているため脚気の心配は少なくなった。