完成したミラクルデンチャー
装着前のミラクルデンチャー
まず右を合わせます
ついで左一番奥の歯を合わせます
左が装着されました
装着状態です

時々、患者さんから「毎日歯磨きしているのに、なんでむし歯になるんだろう?」と言われます。
そこで今回は歯磨きについて、私の体験談をお話しします。
私は高校3年の受験ぎりぎりまで車のエンジニアを目指して勉強していましたが、親の強い希望があり、医学部歯学部に変更しました。人体解剖をしたくなかったので歯学部にしましたが、入学して人体解剖の時間はみっちりあったので、それなら医学部のほうが良かったかなと後悔しました。勝手に解釈した私のミスです。
はなしを元に戻して、ある日90分間の歯磨き実習がありました。実習前はほとんどの学生が小馬鹿にしていました。「歯磨きよりもっと大事な勉強があるよなー。」などとうそぶいていました。私もまったく同じ意見でした。
実習は、まずいつも通りに歯磨きをします。ただし歯磨き剤は使いません。歯磨きが終わったら、磨き残した歯垢を赤く染めだします。1本の歯で虫歯になりやすい部分は奥歯の噛む溝、表側と内側の生え際2か所、隣の歯との間2か所です。前歯で4か所です。
この部分がすべて磨けていれば100点、完璧にむし歯を防げます。
非常に難しいので日本中探しても500人いるかな~?30年前ごろ100%磨きという運動が盛んになり歯科医、歯科衛生士が必死に挑戦していましたがなかなか大変そうでした。80%磨けていれば80点、ほぼむし歯を防げます。60%磨けていれば合格、まずまずです。約40名の学生での実習でだれ一人として合格できませんでした。恥ずかしながら私はなんと19点。今でも鮮明に覚えています。
それから、歯ブラシの選び方、動かし方、時間のかけ方などの勉強。補助的な糸ようじ、歯間ブラシなどの勉強。歯磨剤の使い方の勉強。歯磨剤で歯垢は落とせない。歯垢は歯ブラシでこすり落とすのがメイン。歯磨剤は補助的で、茶渋を落としたり、フッ素など歯を強化するもの、歯肉の炎症を軽減するものなどです。などなどです。
実習が終わった時、学生全員が「今日の実習はよかったー。」と感想を述べていました。私などは放課後に後輩を集めて、実習について喋ったものです。下の図は木下四郎先生(故人)著「プラークコントロール」からのものです。
私の歯磨きとむし歯体験です。
私の幼少期は、スーパーマーケットはなく(中学時代に初めて福山駅前にスーパーマーケット・ダイエーができた)、お米は米屋さん、野菜は八百屋さん、魚は魚屋さんまたは行商のおばあちゃん、パンはパン屋さん、お菓子は菓子屋さんで買いました。
甘いお菓子が食べられるのは一部のお金持ちだけで、うちではお客さんが来た時にお饅頭を出していて、運良く残してくれたら子供たちみんな大喜びでした。歯磨きは週1回程度でしたが高校卒業まではむし歯なし。
大学に入って友達がみんな歯磨きするのを見て(寮生活をしていた)毎日歯磨きをするようになったが、アルバイトで給料をもらったら、シュークリーム10個、ピーチネクター1本を買って1度に食べていました。おかげで2本虫歯になりました。
その後は、歯磨きの実習もあり、勉強のおかげもあり現在まで約45年間虫歯知らずです。以前にお知らせした歯周病も、私はありません。
さて皆さんはどのように歯磨きをしていますか?部屋の掃除と歯磨きには大きな違いがあります。どのような違いか分かりますか?
一番大きな違いは、ちゃんと目で見ながら掃除をしているか?いないかです。
歯磨きの時、多くの方は洗面所で鏡を見ながら、なんとなく顔や口元を見てされていると思います。その時歯ブラシは必要な部位にぴったり当たっていますか?つまり、多分当たっているだろう。いや当たっているに違いない。歯磨剤でこれだけ泡立っているのだから歯垢は取れているに違いないと感覚的に思っているだけなのです。
以前、むし歯と脚気について書きました。少し話が変わりますが、むし歯と糖尿病の患者さんの症例も経験しています。この患者さんは50代男性、ドライバーです。むし歯がたくさんあり、約半年をかけてすべてのむし歯を治療しました。
それから1年経ってからまた受診されました。診察して驚きました。むし歯が多発して、歯周病になり歯が動揺していました。驚いて食事について変わったことがないかを質問しましたが、特に何も出てきませんでした。5分くらいあれこれ尋ねましたが特に問題のある食事ではありませんでした。しかし、最後に
「ポカリスウェットは体にいいのでよく飲んでいます」と言われたのです。「それですよ原因は、どれくらい飲みますか?」と質問すると「1日5本は飲みます。」と言われました。後日、この患者さんは糖尿病にかかっていることが分かりました。
またある時、1才の赤ちゃんを連れてお母さんが来院されました。赤ちゃんの歯がいつまでたっても生えてこないとの相談でした。診察すると歯は2本あるのですが根っこ(歯根)だけになっていたのです。
「飲み物は何をあげていますか?」と質問しますと「ポカリスウェットを哺乳瓶で飲ませています。」と答えられました。そこで「歯は生えてきているのですが、ポカリスウェットのせいで歯が出てくるそばから溶けて根っこだけになっています。」と説明しました。
また、昔お世話になった方ですが、あるスポーツマンは缶コーヒーが好きで毎日何本も飲んでいました。むし歯が多発したそうです。数年前、脳梗塞になり少し後遺症が残り、スポーツは無理になったそうです。
スポーツをすると、のどが渇くので、缶コーヒーやスポーツドリンクを飲む方が多いですが、たまに飲むのはいいですが、出来たら控えたほうがいいです。砂糖の取り過ぎは病気の始まりです。
栄養学者の川島先生(故人)は軍隊の行軍で実験したところ、0.5%の食塩水が一番体に良かったと発表されています。水1リットルに海の塩5グラムを溶かしたものです。私はこれを飲んでいますが、少し塩辛いのでもう少し薄めてもいいと思います。
以下は当院で患者さんに渡しているパンフレットです。
ジュース・スポーツドリンクに注意しよう
皆さんは喉が乾いたとき何を飲みますか?水ですか?お茶?それとも…・・スポーツドリンク、ジュース、缶コーヒー、コーラなどの清涼飲料を飲みすぎていませんか?これら清涼飲料にはどのような特徴があるのでしょうか?
① 問題点
酸性度―歯質は、pH5.4以下になると表面のカルシウム分が溶け出します。砂糖分―清涼飲料を飲むと上の前歯に砂糖分が粘りつき、これを細菌が餌にして歯垢を多量に作ります。歯垢は酸をつくって歯の表面を溶かし虫歯を作ります。
② 結論
酸性分と砂糖分のダブルパンチで上の前歯が集中的に虫歯になります。上の前歯が虫歯になるとおしゃべりしたり笑ったとき大変目立ちます。
③ 対策
慶応2年12月5日(1867年1月10日) ‐ 慶応3年12月9日(1868年1月3日))。江戸幕府最後の将軍かつ日本史上最後の征夷大将軍です。
徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ)は、江戸幕府第15代征夷大将軍(在職:徳川将軍の中で、在任中に江戸入城を果たさなかった唯一の将軍であり、また家康を上回って最も長命だった将軍でです。 御三卿一橋徳川家の第9代当主時に将軍後見職・禁裏御守衛総督など要職を務めました。徳川宗家を相続した約4ヶ月後に第15代将軍に就任。大政奉還や新政府軍への江戸開城を行なった。
明治維新後に従一位勲一等公爵、貴族院議員。武芸や学問を学ぶことに関しては最高の環境で生まれ育ち、様々な武術の中から手裏剣術に熱心で、手裏剣の達人でした。大政奉還後も、毎日額に汗して手裏剣術の修練を行ない、手裏剣術の達人たちの中で最も有名な人物に数えられます。
寝相
寝相が悪く、躾に厳しかった父の斉昭が、寝相を矯正するために寝る際には枕の両側に剃刀の刃を立てさせました。本人は眠った時を見計らって剃刀は取り外すだろうと察知していたが、寝心地は悪く、これを繰り返していくうちに寝相の悪さを克服できた。このことは、側近であった澁澤榮一の残す『昔夢会筆記』にも記述がある。慶応2年、29歳で将軍に就任したのちも、緊張感を保つためにこの習慣を続けていたといいます。
一方、成人してからは寝る際に暗殺対策として、妻妾二人とYの字になるよう三人で同衾していたという逸話も伝えられます。また、利き手である右腕を守れるよう、右肩を下にして寝ていたともいわれます 将軍慶喜の歯並びについてはよく判っていません。見たところ、出っ歯でもなく受け口でもなく、特に問題はなさそうです。
寝相について調べてみました。
昔の北米インディアンは、寝相が悪い子供は毛布でくるんで仰向け寝にしていました。しつけなのか、歯並びが悪くなるのを防いでいるのか、その両方なのか?わかりません。
いずれにしても屈強な子孫を育てるためでしょう。 ほとんどの動物は横向き寝です。ライオン、馬、牛、パンダなど枕なしで横向き寝です。人は基本仰向け寝です。横向き寝だと首がつらいので枕が必要です。どうやら骨格に違いがあるようです。高等な類人猿は木の上で仰向け寝をしているのだそうです。 うつぶせ寝を推奨する人もいます。病人など痰が絡んだり、嘔吐を催したりしている時などはうつぶせ寝で顔は少し横にします。ただし、赤ちゃんが窒息する事故も起きているのでその点は要注意です。
歯並びのことを考えると、小さい時はうつぶせ寝や横向け寝より仰向け寝がいいです。
歯科では仰向け寝をおすすめします。うつぶせ寝や横向き寝では顎の関節によくないし、歯並びが悪くなります。歯並びをよくしたかったら仰向け寝がいいです。
歯並びを直したいとき大事なことは寝相です。いい寝相は仰向け寝です。
横向き寝、うつぶせ寝は歯列に異常な力が持続的にかかります。
頬杖や舌をもてあそぶ癖、指しゃぶりなども歯並びに悪影響があります。
お口ぽかん(口呼吸)にならないようにお鼻で息(鼻呼吸)をします。
現在でも白米と砂糖いっぱいのお菓子とドリンクは危険
徳川14代将軍家茂がむし歯と脚気(ビタミンB1欠乏症)で若くして亡くなったのはすでにお知らせで書いた通りです。
実は私もこの患者さんは脚気に違いないという症例に出くわしたことがあります。もう30年以上前になりますが、20代の男性患者さんで独身です。たくさんむし歯があり治療していました。
予約時間には必ず来院され治療も順調に進んでいましたが、ある時、無断で来られませんでした。携帯電話がまだなかったころです。どうしたんだろうと思っていましたら、しばらくして来院されました。
真面目に来院されていた患者さんだったので気になり「何かあったんですか?」と聞きますと、「実は足がしびれて歩けなくなり1週間入院していました。点滴して治ったのですが原因はわからないそうです。」そのころ私は「現代によみがえる江戸患い」と言う本を読んでいたので間違いなく脚気だと思いました。
そこで、ご飯はどんなものを食べているか聞いたところ「ご飯は毎食セブンイレブンのお弁当、飲み物はコーラが一番おいしい」とのことでした。
まさに、むし歯と脚気になる食生活です。コーラは強い酸性の飲み物なので歯の表面を溶かします。また砂糖がたっぷりなので虫歯菌がたくさん繁殖します。飲むときに上顎の前歯を通ってのどに流れ込むので、上顎の前歯がむし歯になる人は飲み物が原因であることが多いです。甘い飲み物は(コーラ、スポーツドリンク、ジュース、黒酢ドリンクなど)上顎の前歯がむし歯になります。
玄米にはビタミンB1、その他ビタミン、ミネラルを含んでいますが、精製して白米にするとそれらはほとんど無くなってしまいます。精製すると白米と糠に分かれます。糠にはビタミン、ミネラル、食物繊維が豊富に含まれています。糠と言う漢字は米に健康の康と書きます。昔の人は知っていたんでしょうか?
また、コーラに入っている砂糖は量も多く、エネルギーに代わるときにビタミンB1などを消費します。 これではビタミンB1が不足するのは仕方がありません。 患者さんには食事について説明しましたが、人の食生活はなかなか簡単に変わるものではありません。 ビタミン剤を飲むように勧めました。
以下はWIKIPEDIAからの参照です
脚気(かっけ、英: beriberi)は、ビタミン欠乏症の一つであり、ビタミンB1(チアミン)の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす疾患である。心不全によって足のむくみ、神経障害によって足のしびれが起きることから脚気と呼ばれる。心臓機能の低下・不全(衝心、しょうしん)を併発したときは、脚気衝心と呼ばれる。最悪の場合には死亡に至る。
日本では、白米が流行した江戸において疾患が流行したため「江戸患い」と呼ばれた。大正時代には、結核と並ぶ二大国民亡国病と言われた。1910年代にビタミンの不足が原因と判明し治療可能となったが、死者が1千人を下回ったのは1950年代である。その後も1970年代にジャンクフードの偏食によるビタミン欠乏、1990年代に点滴輸液中のビタミン欠乏によって、脚気患者が発生し問題となった。
第二次世界大戦以前
『日本書紀』にすでに脚気の症状を呈する病の記述がある。元禄年間には、コメを精製する習慣が広まり、特に江戸で多く発生して「江戸患い」と呼ばれ、経験的に他の精白されていない穀物を食べた。明治時代に入り1870年(明治3年)から翌年にかけて脚気が流行。明治末までに、毎年最小6,500人から最大15,085人死亡したとみられる。大正以降、ビタミンB1(チアミン)を含まない精米された白米が普及するとともに安価な移入米が増加し、副食を十分に摂らなかったため、脚気の原因が解明されビタミンB1の純粋単離に成功した後も、多くの患者と死亡者を出した。
統計上の脚気死亡者数は、1923年(大正12年)の26,796人がピークであり、戦後まで年間1万人~2万人で推移した。また幼児の脚気による死者が非常に多く、大正時代末期は0–4歳の幼児死亡原因の約半数が脚気によるものであった。ようやく死者が1千人を下回ったのは、アリナミンとその類似品が社会に浸透する1950年代後半のことであった。
大日本帝国海軍で軍医の高木兼寛は、イギリスの根拠に基づく医療に依拠して、タンパク質が原因だと仮定して、洋食、麦飯を試み、1884年(明治17年)の導入により、1883年の23.1%の発症率を2年で1%未満に激減させた。理論こそ誤っていたものの、疫学の科学的根拠を得ていたということである。だが、当時医学の主流派は、理論を優先するドイツ医学を模範としていたことから高木は批判され、また予防成績も次第に落ち様々な原因が言われ、胚芽米も導入された。
これに対抗して、大日本帝国陸軍は白米を規則とする日本食を採用、『明治二十七八年役陸軍衛生事蹟』によれば、死者総計の約2割、約4千人の死因が脚気であり、陸軍はその後も脚気の惨害に見舞われた。農学者の鈴木梅太郎は、1910年(明治43年)に動物を白米で飼育すると、脚気様の症状が出るが、米糠・麦・玄米を与えると、快復することを報告。これを基に翌年、糠中の有効成分を濃縮し「オリザニン」として販売したが、医界においては伝染病説と中毒説が支配的であり、また医学界の外にあった鈴木が提唱したこともあって栄養欠乏説を受け入れなかった。1912年にポーランドのカジミェシュ・フンクがビタミンという概念を提唱したが、なおも国内提唱の栄養説を俗説とさげすみ、外来の栄養説を後追いした。陸軍主導の調査会には、真因を追及する能力はなかったとも指摘される。陸軍が白米を止め、麦3割の麦飯を採用したのは、海軍から遅れること30年の大正2年だった。
第二次世界大戦以後
1975年(昭和50年)頃からジャンクフードの普及による栄養の偏りから脚気が再発した。また、高カロリー輸液の点滴にビタミンB1を欠いたことから死亡を含む脚気の重症例が相次ぎ、1997年(平成9年)に厚生省は輸液に際してビタミンB1を投与するという通達を出した。アルコール依存症患者にも多い。2014年にも、高齢者が食品購入の不自由さから、副食を食べず白米のみを食す食生活でビタミンを摂取できず発症する例が報告されている。現代のジャンクフードは、例えばインスタントラーメンなどにビタミンB1が添加されているため脚気の心配は少なくなった。
大人の矯正は歯の表面に器具(ブラケットと言います)を張り付けてそれに針金を通す方法が一般的ですが、アライナーと言う薄くて透明なマウスピースをはめる方法があります。
アライナー矯正は針金の見た目が気になる、部分的に治したい人におすすめです。
アライナー矯正(マウスピース矯正)は食事の時間は食べにくいので外しますが、それ以外の時間は付けっぱなしです。薄くて透明なので他人には装置をしているとは思われません。
オーストラリア人の俳優メル・ギブソンは歯をきれいに見せるためアライナーを付けて演技をしているそうです。
アライナーはワンステップで薄くて柔らかいもの、厚くて硬いもの、その中間のものの3枚を使います。柔らかいものから、大体1週間毎で硬いものに変えていきます。そして、少しづつ歯が動いていきます。
この患者さんは6ステップかかっています。合計18枚のアライナーを使いました。大人の矯正は必ず後戻りがあります。後戻りを防ぐために最後のアライナーを寝る時つけて寝ます。
この患者さんは全体的に歯周病があり、前医で、悪化した歯は抜歯して取り外し式の入れ歯を作られましたが、異物感が強く、この度ミラクルデンチャーを希望して当院に来院されました。
作成用模型とミラクルデンチャー
ミラクルデンチャーは特許製品で保険はききません。大阪にあるミラクルラボだけが作ることが出来ます。
装着して微調整が済んで全く痛みが無い状態で帰っていただきます。2回目の調整は全く痛みが無くても、次の日、または出来るだけ早く調整します。
新しい義歯は、新しい靴と同じように靴ずれを起こすことがあります。それを未然に防ぐための調整です。残っている歯が少ない場合、入れ歯を外して寝ると歯に異常な力がかかり、歯周病が悪化することがあります。ミラクルデンチャーは従来の入れ歯より異物感が少ないので就寝中も装着したほうがいいです。また、残っている歯と一体化するので、噛めなかった歯が噛めるようになることがあります。
歯周病になる原因は柔らかいものばかり食べることです。
やわな食物⇒やわな歯肉⇒歯周病菌の爆発⇒歯周病
歯周病を防ぐ、歯周病を治す方法は歯肉を鍛えること。
ヤワになった食べ物を卑弥呼の時代のような硬い食べ物に戻すのはもう無理です。サバの頭をガジガジかじれる人もまれでしょう。シャキシャキの野菜やきんぴらごぼう、リンゴを皮つきで食べるなどできるだけよく噛んで食べるようにします。
歯ブラシの毛先が当たった歯肉だけが鍛えられます。毛先を的確に当てるのは大変難しいです。意識するのは歯と歯の間、歯肉の三角地帯です。手鏡で確認します。また、舌先で触って歯がツルツルになって歯と歯の間がくっきりはっきりした感じになっていれば、歯垢が取れて歯肉も鍛えられています。歯周病が進行した部分は長時間鍛えます。目安は1日3回各15分。歯磨剤は最後に。歯ブラシは少し柔らかめから始めてください。痛くなくなったら普通の硬さに変えます。片目は歯と歯の間に入りにくいので使いません。洗面所ではムリ、居間やお風呂で!
初めの数日は寝かせ気味に
次の数日は直角に当てます
最後の数日葉45度立てて
3DS・むし歯菌、歯周病菌の除菌療法(Dental Drug Delivery System)
歯に付着するむし歯菌・歯周病菌を除去することで
方法
上下顎の歯型取り
マウスピース作成
歯全体をクリーニングしてマウスピースに除菌薬剤を塗布、歯に装着して5分間除菌。むし歯菌・歯周病菌は限りなく0に近づきましたが複雑に並んだ歯の周りでは残念ながら0ではありません。1匹の菌が30分で1回分裂して増殖し14時間で10万匹になります。このまま放っておくと元の木阿弥です。効果を持続させる為にホーム除菌(家庭での除菌)が必要となります。
1日の歯みがきのうち1回、ていねいに歯みがきをした後マウスピースに除菌薬剤を塗布、歯に装着して5分間除菌します。これを7~10日間続けます。
経過観察、再度歯全体をクリーニングしてマウスピースに除菌薬剤を塗布、歯に装着して5分間除菌
上記を1クールとします。
1クールで効果は2カ月から12カ月(1年)続きます。むし歯を予防でき、歯周病を予防、進行した歯周病では進行を止めることが出来ます。また改善もできます。歯原性菌血症による病気も予防できます。毎日継続することをお勧めします。
むし歯が進行して象牙質に達するとむし歯菌が歯髄(神経)の血管に侵入します、また歯周病が進行して弱った歯肉の血管に侵入します。このようにむし歯菌や歯周病菌が血管に侵入して全身に運ばれることを歯原性菌血症と言います。歯原性菌血症が続くと細菌の害と細菌が産生する毒素によって次のような病気になると考えられています。
ガン、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病、高血圧、関節リウマチ、脳脊髄膜炎、心内膜炎、血行性肺炎、急性虫垂炎、肝臓膿瘍、脾臓膿瘍、早産、低体重児出産、アルツハイマー型認知症
出来れば毎日1回はホーム除菌(ホーム3DS)を継続します。また良好な結果を維持していく為には日常の生活習慣を変える必要があります。炭水化物の食べすぎを改善(糖質制限食をお勧めします)砂糖の摂り過ぎに注意(WHO勧告1日25g、調味料を引くと20g)
歯みがき・歯肉マッサージを丁寧に(場合により音波ブラシの活用)
費用:¥32.400(税込み)
徳川 家茂(とくがわ いえもち)は、江戸幕府第14代征夷大将軍。
(1846~1866年) 13歳で第14代将軍となった。 文久2年(1862年)に和宮親子内親王と結婚した。和宮は有栖川宮熾仁親王と婚約していたが、幕府の公武合体構想からの要請により熾仁親王との婚約を破棄し、和宮は家茂に降嫁した。
慶応2年(1866年)、金の馬印を掲げ、大軍を率いて上洛した第2次長州征伐の途上、家茂は大坂城で病に倒れた。この知らせを聞いた天皇は、典薬寮の医師である高階経由と福井登の2人を大坂へ派遣し、その治療に当たらせた。江戸城からは、天璋院や和宮の侍医として留守を守っていた大膳亮弘玄院、多紀養春院(多紀安琢)、遠田澄庵、高島祐庵、浅田宗伯らが大坂へ急派された。しかしその甲斐なく、同年7月20日に薨去した。享年21(満20歳没)。遺体はイギリスから8月に購入した長鯨丸にて江戸に運ばれた。9月2日に大坂を出航し、6日に江戸に到着している。
昭和33年(1958年)から35年(1960年)に増上寺の徳川将軍家墓地改葬の際、徳川家の人々の遺骨の調査を行った鈴木尚の著書『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』によれば、家茂は月代を剃っておらず、若々しく豊富な髪の持ち主であったという。また家茂の歯の虫歯の度合いはひどく、残存する31本の歯のうち30本が虫歯にかかっていた。
記録などから総合するに、家茂は元々、歯のエナメル質が極端に薄い体質であった上に大の甘党でもあった。その虫歯が家茂の体力を弱め、脚気衝心、さらには医師間の診断内容の相違(高階ら漢方の典医は脚気との診断を下したが、西洋医の幕府奥医師達はこれをリウマチだとして譲らなかった)も加わり、家茂の命を奪ったのではないか、と指摘している。
また墓地改葬の際に、和宮の墓の中から家茂と思われる男性の肖像写真が発見された。それまで、家茂は義兄の孝明天皇に倣って写真は撮影していなかったと思われていた。この写真は死の直前に大坂で撮影され、江戸にいる和宮に贈られたものとみられる。しかし写真は湿板写真だったため、発見の翌日に検証しようとしたところ、日光のためか画像は失われてしまっていた。発掘した歴史学者の山辺知行によると、写真の男性は「長袴の直垂に烏帽子をかぶった若い男性」で「豊頬でまだ童顔を残していた」という。写真はその後和宮の墓に戻された。
• 『増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体』によると、四肢骨からの推算で身長は156.6cm、血液型はA型であった。 • 遺骨から、面長で極めて鼻が高く、歯は反り歯であったことが分かっている。肖像画の顔はそうした特長をよく表している。 • 羊羹、氷砂糖、金平糖、カステラ、懐中もなか、三色菓子など甘いものを好んだ。
• 勝海舟は「若さゆえに時代に翻弄されたが、もう少し長く生きていれば、英邁な君主として名を残したかもしれぬ。武勇にも優れていた人物であった」と賞賛し、訃報に接した際は悲嘆のあまり、日記に「徳川家、今日滅ぶ」と記したほどであった。晩年は家茂の名を聞いただけで、激動の時代に重責を背負わされた家茂の生涯に「お気の毒の人なりし」と言って目に涙を浮かべたという。
• 幼少の頃は風流を好み、池の魚や籠の鳥を可愛がるのを楽しみとしていたが、13歳で将軍として元服してからは、文武両道を修めるように努めた。ささやかな楽しみすら捨て、良い将軍であろうと心がけていた姿は、幕臣たちを没後も感激させたという。
• 文久3年(1863年)4月、家茂は朝廷に命じられた攘夷実行への準備として、幕府の軍艦「順動丸」に乗って大坂視察を行っており、艦を指揮していた勝から軍艦の機能の説明を受け、非常に優れた理解力を示した。その折に勝から軍艦を動かせる人材の育成を直訴されると、即座に神戸海軍操練所の設置を命令した。さらに同年12月に上洛の際、勝の進言を容れて順動丸を使うことを決断した。その理由として、前回の上洛において往路だった陸行では22日を要したのに対し、帰路順動丸を使った際にはわずか3日で江戸に帰れた事実がある。そのことが勝への信頼感につながったとする説がある。さらに航海の途中で海が荒れて船に酔う者が続出したため、側近から陸行への変更を奨められたが、「海上のことは軍艦奉行に任せよ」と厳命し、勝への変わらぬ信頼を表した。これらの信任に勝は感激し、家茂に対する生涯の忠誠を心中深く誓ったという。
• 和宮とは政略結婚ではあったが、2人の関係は良好であったという。家茂は和宮以外の女性を傍に置こうとしなかったため、側室は1人もいなかった。家茂は和宮を心から愛していたのもあって、少しでも時間ができれば和宮と雑談を交わし、かんざしや金魚などを贈った。和宮も家茂が好きな茶菓子をよく差し入れたりと細やかな気配りを欠かさなかった。その夫婦関係の良さは、和宮の側近が仲睦まじい2人のことを日記に記していたほどであった。
• 書の達人として知られていた幕臣・戸川安清は70歳を過ぎた老人ながら、推されて家茂の習字の先生を務めていた。ある時教えていた最中に、突然家茂が安清の頭の上から墨を摺るための水をかけ、手を打って笑い、「あとは明日にしよう」と言ってその場を出て行ってしまった。同席していた側近たちがいつもの家茂らしくないことをすると嘆いていると、当の安清が泣いていた。将軍の振る舞いを情けなく思ってのことかと尋ねると、実は老齢のため、ふとした弾みで失禁してしまっていたことを告げた。その頃の慣例として、将軍に教えている真っ最中に粗相をしたとなると厳罰は免れないので、それを察した家茂はわざと水をかけて隠し、「明日も出仕するように」と発言することで不問に処することを表明したのである。泣いたのはその細やかな配慮に感激してのことだと答えたという(安清の親戚である戸川残花が『幕末小史』の中に記している)。
• 欧州における絹の産地として知られたフランスやイタリアでは、1850年代にノゼマと呼ばれる原生動物が原因とする蚕の伝染病が流行し、両国の養蚕業は壊滅状態になった。これを知った家茂は、蚕の卵を農家から集めてナポレオン3世に寄贈した。フランスではルイ・パスツールがジャン・アンリ・ファーブルの助言を元に、贈られた蚕を研究して病気の原因を突き止めるとともに、生き残った蚕同士をかけあわせて品種改良を行った。ナポレオン3世は謝礼として慶応3年(1867年)に、幕府に対して軍馬の品種改良のためのアラビア馬26頭を贈呈した。飼育の伝習も同時に行われ、小金牧(現千葉県松戸市)で大切に飼育される予定だったが、戊辰戦争の混乱で散逸した。